私には私の色があり、
あなたにはあなたのの色がある。
何色でもない、たった1人のための『記号』。
みんなの『記号』が集まり、
静かに並ぶ。
あなたの『記号』が、誰かの隣に寄り添い、
おぼろげな境界を持ちながら連続する。
本当の、 性のスペクトラムが視覚化される。
性に関する差別や迫害は、代々受け継がれた「普通」と現実の乖離によって引き起こされます。
「普通」は時代の流れによって生まれたものであり、メディアによって、わかりやすい『記号』を通じて再生産されます。
『記号』はっきりとした輪郭をもった「普通」は次の世代に常識として受け継がれます。
そして常識に反するものは、ときに迫害を受けてきました。
たしかに、近年はLGBTQという言葉は広く認知され、性的マイノリティと呼ばれる人々を受容する動きが広まっています。
それは、性的マイノリティという言葉や、レインボーフラッグという『記号』が当事者を定義したことで、人々に認知されやすくなったことが理由の一つと言えるでしょう。
この問題の当事者は本当に“マイノリティ”でしょうか。
人間のセクシャリティとは、生物学的性、性自認、恋愛指向、性的指向、性表現のように、いくつもの要素が関わる複合的なものです。
LGBTQという分類も、膨大なアイデンティティの一部に過ぎません。
本当の当事者は、広大なスペクトラムに連続するすべての人であるはずです。
膨大な数のアイデンティティを1種類の旗という『記号』によって単純化させるべきではないと考えます。
『記号』が排除した「曖昧さ」は本来の私たちの姿ではないでしょうか。
これは既存の『記号』によって引かれた境界を取り払い、一人ひとりに新しい『記号』を付与する試みです。